2013年12月3日火曜日

太平洋戦線での米軍の戦略爆撃

戦略爆撃とは直接敵軍に爆撃を加えるのではなく、敵国の経済、軍事拠点などに対して打撃を与えるものですが、その性質上民間人の犠牲も多く、また戦術爆撃と違って直接的な効果がわかりづらいためたびたびその必要性について議論になることが多いです。今回は太平洋戦線での米軍の日本に対する戦略爆撃について検証していきたいと思います。主な参考資料は米国戦略爆撃調査団(United States Strategic Bombing Survey)のものです
 

上の写真のドゥーエなどに代表される初期の戦略爆撃の推進者の理論では戦略爆撃の敵国に与える経済的、社会的影響もさることながら心理的な影響に特に重点が置かれていました。つまり継続的な爆撃にさらされた民衆の間に厭戦気分が充満し、政府がそのまま停戦に追い込まれるといった感じのものです。しかし歴史を見れば度重なる戦略爆撃を受けたドイツも日本も民衆の厭戦気分が直接的に敗戦に至らしめたわけではないので心理的な効果には疑問が残っています。

しかしながら果たして戦略爆撃がなんの心理的影響ももたらさなかったのかというとそんなことは無いと思います。太平洋戦線での戦略爆撃の効果は欧州戦線におけるそれよりも大きく、その理由は日本家屋の脆弱性や対空火器の不足、焼夷弾や原爆の使用などの米軍の技術的進歩など数多くあります。米軍の調査によれば44年6月にはたったの2%が日本の敗戦を予想していたのに対し、マリアナ諸島からの爆撃が本格化した同12月にはこれが10%に上昇し、夜間爆撃の本格化や配給の削減が見られた45年5月には19%に、同6月には46%になり敗戦直前にはついに69%に達したそうです。そして敗戦を予想した主な理由については3分の1が空襲によるものだったそうです。また激化した空襲は都市部の住民の疎開を促進し、疎開した都市住民が地方に空襲の実情についての情報を広める効果を生みました。しかし前にも述べたように当時の日本の政体によるものか、結局のところこのような民衆の心理的圧迫は敗戦に大した影響をもたらしませんでした。そこで次は経済的影響について考察してみます。

米軍の戦略爆撃で最も打撃が大きかったのはやはり経済部門でしょう。日本が受けた爆撃はドイツが受けたものよりは小規模でしたが時期がより集中的で、さらに目標が全体的に脆弱だったためドイツよりも多くの打撃を受けました。調査によれば66個の都市の40%の範囲が破壊され、日本の都市人口の約30%が住居を失いました。しかしながら鉄道はとりたてて打撃を受けたわけではなく、終戦まで比較的正常に運転が行われており、例えば広島では原爆投下後48時間後には鉄道の運営が再開されました。ただ都市間の交通は甚大な打撃を受け、そのため都市間にある工場の部品の移動が遅れ、生産の遅れにつながりました。以降は少し退屈かもしれませんがいくつかのデータを表で上げます。

各業種の生産能力低下



石油精錬

航空エンジン製造

航空機体製造

電子機器製造

陸軍軍需品製造

海軍軍需品製造

造船

軽金属製造

製鉄

化学

-83

-75

-60

-70

-30

-28

-15

-35

-15

-10

石油精錬業の生産能力低下が顕著なのは直接的な爆撃による損害によるものよりは石油輸入の減少によるところが多く、同じことが軽金属業や製鉄業にも言えます。また製鉄業の生産能力低下により造船、軍需品製造にも影響が及び、特に軍需品製造に関しては重要施設として爆撃の対象になりやすい関係でとくに打撃が大きいです。戦略爆撃の影響が特に大きかったのはレーダーや無線などを製造する電子機器関係の業種で、これらは部品製造を行っていた都市部の中小の工場の多くが破壊されたことでこのような数値になりました。航空機関係では内燃機関製造が一部の軽金属の不足により難しくなった上、機体製造工場も内燃機関製造工場も多数が爆撃の目標となったため損害が大きいです。しかしながら仮に生産能力がここまで低下しなかったとしても今度は軽金属、とくにアルミニウムの不足によって生産量自体は結局低下さざるを得ない状況でした。いくつかの業種では海上封鎖による輸入の低下が主要な生産能力低下の原因とは言え日本経済に戦略爆撃が与えた影響はかくも大きなものであったのです。

しかしこれでも米軍的には実はまだ完璧ではなかったらしくいくつかの反省点も上げられていました。最大の反省点は日本の鉄道にさしたるダメージを与えられなかった点です。鉄道という細いターゲットに爆弾を命中させるのは困難で、日本の鉄道に本格的な損害を与えるにはB-29をのべ650機ほど出撃させて5200トンもの爆弾を投下することが必要と見積もられていたため鉄道に対する攻撃はたいして行われていませんでしたが、日本の準備体制や補修能力を鑑みれば実際はその四分の一ほどで足りたためこれを行うべきであったそうです。また主要炭鉱が位置している北海道と九州から本州への交通の封鎖によって鉄道の動力源たる石炭を断つという方法もとるべきであったとの意見も見られます。

全体としてみれば米軍による戦略爆撃は日本に多大なる打撃を与えたと言ってよいでしょう。ただいくつかのデータを見た限りだと島国である日本にとっては海上封鎖のほうがもしかしたらそれ以上の打撃を与えていた可能性が高い気もします。今度はそれについても考察してみたいです。

2013年11月27日水曜日

護送船団

英語ではコンボイ(Convoy)と呼ばれています、こっちの呼び方のほうがしっくり来るので以降はこう呼びます。コンボイはWWIで独逸の無制限潜水艦作戦によって大西洋の補給路を脅かされていた英国で戦術として体系化され、1917年9月に初めて使われました。要するにいままでバラバラに行動していた輸送船をまとめて行動させてそれに護衛をつけただけですが、実際これによって英国の輸送船の損耗率は劇的に改善されました。コンボイはWWIIでも使われた戦術ですが今回はWWIに限定して解説したいと思います。

コンボイは上でも述べたように輸送船団とその護衛艦の船団ですがソナーなどが未発達の時代、潜水艦から輸送船を守るためにさまざまな工夫が施されています。
①先行する快速艦艇、この艦が先行して進路上を哨戒した。
②輸送船(ダズル迷彩をしていることが多い)
③駆逐艦、ジグザグに進むことで敵潜水艦に進路を先読みされないようにした。潜水艦目撃情報が多数ある危険地域ではコンボイ全体が駆逐艦と合わせてジグザグに進んだ。
④武装漁船、コンボイは多数の護衛艦艇を必要とするため駆逐艦だけでは数が足りず、民間の漁船を徴用して水兵を乗せていた(こちらもダズル迷彩をしていた)。
⑤コンボイの先頭にいる巡洋艦もしくは駆逐艦、これが旗艦であり司令官が搭乗していた。
⑥観測気球を乗せた快速艦艇
⑦船団から落伍しているように偽装したQシップ(細かい解説は下で)

用語の解説をすると、ダズル迷彩とは濃淡のついた幾何学模様の迷彩で一般的な迷彩のように風景に溶け込んで目立たなくさせるものではなく派手な幾何学模様で敵に進行方向や速度などを悟られないようにするものです。言葉で説明するより見たほうが早いので画像を載せます。

そして英国のアイディアの面白さが一番出ているのが⑦のQシップという艦種でしょう。端的に言えば輸送船に偽装した武装艦艇です。だいたい輸送船の中でも見た目がボロボロのものを選んで武装を積んで、水兵を民間船員に擬装させたものです。これを見た潜水艦は船団から落伍している上見た目もボロボロなので当時はかなり高価で搭載数も少ない魚雷を惜しんで浮上して砲撃を加えようとすることが多く、その時を狙って隠しておいた艦砲で潜水艦に向けて砲撃をするというだまし討ちに特化した変態艦です。こういうアイディアが通ってしまうのが英国の恐ろしさ。もちろん戦果も上げています、詳しく知りたい人は宮﨑駿の雑想ノートに漫画があるので是非一度目を通してみてください。

さて、話をもどすとコンボイは足の遅い輸送船のなかでさらに一番遅い船の最高速度に合わせて進行し、危険地域を進むときや潜水艦発見情報があった時は船団全体が度々進行方向を変え、ジグザグに走行します。簡単に言いましたが密集隊形を組みながらこれを実際にやってのけた英国海軍の水兵の練度には驚嘆させられます。このコンボイは実際どれだけ役に立ったかを示すデータはたくさんありますが分かりやすいグラフを貼り付けて説明とさせていただきます。
 
 
具体的な数値に興味がある方はhttp://en.wikipedia.org/wiki/U-boat_Campaign_(World_War_I)ここを参照してください。
 

2013年11月26日火曜日

縦深戦術


縦深戦術はソ連軍によって生み出され、バグラチオン作戦などがその実施例として有名です。
歴史的経緯はwikiにでも譲るとして細かい戦術面に注目して語っていきたいと思います。


 
 
一番イメージ的にしっくり来る図が何故かベトナム語のものだったので一応説明すると赤がソ連
軍です(ベトナム語はわからんがそうでなきゃおかしい)。ただしこの図は縦深戦術の全貌ではなく
一部をミクロな視点で見たものです。実際のソ連軍の攻勢はこの光景が50-200kmに渡って南北に続いています。
 
 
①~④に段階分けして解説します
①砲兵部隊による敵防衛線の全範囲(後方の補給部隊、予備部隊に対しても)に向けた砲撃。この砲撃によって敵部隊の消耗と疲労をさそう。ある程度軍事を知っている読者ならソ連軍の砲撃というだけでどのくらいの規模かは把握できると思います。

②第一梯団による前線正面への攻撃。第一梯団の仕事は敵戦線に突破口を開くことであり作戦で決められた地点まで損害を顧みず(お察し)に突破することが求められました。

③突破によって疲労した第一梯団に変わり、待機していた第二梯団が突破口からさらに戦果拡大と敵の予備兵力の到着阻止を目的とした前進を開始。空軍からの敵予備兵力への爆撃や空挺部隊の投下による包囲などの支援を受ける。特にドイツ軍は突破を終えたソ連軍への機甲部隊による反撃こと「マンシュタインのバックハンドブロウ」という戦術を行うことがあるため来援した敵予備兵力を疲労していない第二梯団で叩くことは極めて重要でした。なおこの間に突破された敵軍の防衛線の部隊を後方の予備部隊、第一梯団が包囲を行います。

④この後さらに予備部隊による追撃や空挺部隊による敵の退路遮断などの作戦行動が行われる。

というのが縦深戦術の主な内容ですがよく考えてみてください。これ敵の何倍の兵力いるんだよ!結局物量によるゴリ押しじゃねーか、こんなのが戦術と言えるか!という意見を持った人もいるかもしれません。

でも歴史をみればこれは非常に革新的(革命的?)な戦術なんです。たとえばWWIのニヴェル攻勢では48万の独軍に大して仏軍は120万ほど動員して攻勢をかけたにもかかわらずついに突破できなかったようにWWIではついに防御側の有利が崩れることがなく、大規模な突破からの殲滅も起き得なかったのです。それが航空攻撃や機械化部隊の進歩によってついに可能になったわけですから極めて意義が大きいんです。

だったら電撃戦のほうが偉いんじゃねーのとも思いますが結局のところ電撃戦は機甲部隊の機動力をもって敵の指揮系統を麻痺させるのに主眼がおかれており敵野戦軍の殲滅にはつながらないため縦深戦術よりはどうしても戦果が劣ってしまうのです。それに何より縦深戦術は冷戦になっても使われ続けるため有効性はこちらに軍配が上がったとみてよいと思います。